2021/08/31 (Tue)00:11
短期企画「明日、灯火帰す前」に参加させていただいた
自PC「リリア」の最期です。
約1か月、お付き合いいただきありがとうございました。
自PC「リリア」の最期です。
約1か月、お付き合いいただきありがとうございました。
魔物に見つからないよう、足音を消して夜の森を歩く。一月にも満たない期間でそれまでとほぼ同数の依頼をこなしてきたリリアにとって、この歩き方にももう慣れたものだった。
季節は夏。樹々は空に向かって大きく手を伸ばし、厚く茂った葉は月明かりの大部分を遮っていた。しかし、魔法で夜目を効かせていれば移動に支障はない。樹の根や石を踏まないように、リリアは道なき道を進んでいく。踏みしめる土は少し湿ったように感じられた。辺りからは虫の鳴き声だけが響いており、魔物の気配は全く感じられなかった。このままいけばそう時間はかからずに目的地へたどり着くことができる。自分が目指そうとして死んだ、霊泉に。
リリアは霊泉を探して森の中をさまよううちに、不運にも、あるいは不注意にも魔物の巣へ足を踏み入れ、そして殺された。彼女は魔法使いだが、数に押されて魔法力が尽きてしまえば一般人と変わりがなく、なすすべもなく魔物たちに蹂躙された。水のために捧げると誓った肉があっさりと引き裂かれていったことを覚えている。最悪の中でもまだ好かったことは、純潔だけは奪われなかったことだ。肉体の処女性は外見に影響しないが、男と一切の交わりがない澄んだ肉体は清流に通じるものがあるのだ。この体も処女性は失われていない。
いくつかの冒険者の宿で情報を集めたところ、その魔物の巣は既に掃討作戦がとられ駆除が完了したとのことだった。その際に、10人以上の人間の死体が発見され引き上げられた。死体はどれも惨たらしく傷つけられていて身元がわかる者がいなかったため、全員共同墓地へ埋葬されたらしい。その中に自分の死体が混ざっているのだなあ、とリリアはぼんやりと他人事のように考えていた。実際に、新たな肉体を得たリリアにとっては、前の肉体のことはどうでもよかった。引き裂かれ傷つけられ腐り果て色が変わり腐臭がする肉体はもはや曇りない水にふさわしいとは到底言えない。幸運にも生前、魔物の巣に足を踏み入れる前のとおりの肉体をもう一度手に入れることができた。リリアにとって、この肉体をできる限り美しく清冽な水にふさわしい死体に仕立て上げることが最も優先すべきことだ。依頼ではできる限り肉体に傷がつかないよう努力したし、体は毎日丁寧に洗った。体の中をできるだけ水に近づけるためにだんだんと食事の量を減らしていきここ数日は固形物を口にしていないが、栄養剤を調合して痩せすぎないようにはしていた。全ては水に見劣りしない肢体を手に入れるためだ。
事前に調べておいた出来る限り安全なルートを歩いていると、やがて泉に着いた。生前にたどり着くことが叶わなかった泉だ。森の深い樹々の中、そこだけぽっかりと空間が空いており、その真ん中に泉がある。泉は穏やかできれいで透き通っており、直径は5mほど、深さは相当なものだが底まで見通すことができるほどだ。霊泉という呼ばれ方どおり、その水にはほんのりと魔力が籠っており傍にいるものを心地よく穏やかな心持ちにさせる。そして水面には輝くような月がゆったりと眠っており、心地よさそうにゆらゆらと揺れていた。
「きれい……」
リリアは一目見て思わずそうつぶやいていた。数日前にも同じ時間帯に下見に来ていたが、ここまでの美しさはあっただろうか。視界がさあっと広がり光に包まれるような鮮やかさだった。ここの情報を得ることができた自分は、そしてここを選んだ自分は間違っていなかったと思った。泉のほとりにしゃがみこんで指先を水につける。魔力のせいか、夏であるのにぬるくはなく水浴びに心地よいほどの冷たさだ。ここにある水は今までに見てきた水の中でも一等のものに違いなかった。昔、どこで見たかすらももう思い出すことができない、自分を虜にした記憶の中の妖艶な川のきらめきに匹敵するほどだ。
「……すてきだな。本当に」
今からリリアは、命を捧げてこの水と一つの作品になるのだ。背負っているバックパックを下ろす。その中からポーションを取り出して飲み干した。夜目と虫よけの魔法のせいで魔法力は目減りしている。今から使う魔法のために、魔法力は回復させておかなければならない。暑い中歩いてきたせいで元々体温は上がり汗をかいていたが、歩みを止めると更に汗がじわじわとふき出してきて体のほてりは強くなっていた。手を団扇のようにしてあおぐがほとんど効果はなかった。水代わりにもう一本ポーションを飲んだ。
手を組んだまま上に挙げて伸びをする。荷物を背負ってきたせいか、肩のあたりがコキン、と音を立てた。体のコリをほぐすために肩をグルグルと回した。
リリアの他には周囲に人や魔物の気配はしない。何となしに灯花亭のことが思い起こされる。そろそろ8月最後の日になるが、彼ら彼女らはどうしているのだろうか。リリモニカは場所だと言った。リリアも同じ考えだった。その考えが正しいのであればあの場所にいる人は全員死者で、やがてはあるべき場所に還るのだろう。また、その前にどこかのタイミングで自分が死んだ記憶を思い出すだろう。もしかしたら、灯花亭では今頃誰かが混乱したり絶望したりしているかもしれない。あるいはそれは明日かもしれない。しかし、リリアは既にそこにおらず何かをできるわけでもなかったし、そもそも死に抗うためにどうこうとするつもりもなかった。その場にいれば混乱を収めるべく行動するかもしれないが、それもできない今となってはどうなるのだろうと思いを馳せるだけだ。ただ、同じ魔法使いであるリリモニカとシュレの二人くらいは混乱が起こったとしても上手くやっていてほしいと思った。思えば手間がかかる後輩二人だったが、彼女たちくらいの年頃のときは自分もあんなに手間がかかる人間だったのだろうか、とリリアは思った。ただひたすらに学院内での地位を築くために奔走していた毎日だったはずだ。自分が気づいていないだけでそうだったのかもしれないと思い、リリアは西の空を見上げた。
学院の上層部の動きが遅いとはいっても、もうさすがに学院から除名になっているだろう。禁書庫へ侵入したことはともかく、適当な学生3人を魔法の実験台にしたことまで突き留められているかもしれない。しかし、今まで結局学院から追手などが来ることはなかった。除名して自分たちとは関係ないと言ってもうそれでおしまいなのだろう。もし追手が来るようであれば適当な魔術の実験台にしてもいいし、あるいは最近来るようであれば自分の死体を持ち帰らせてあげてもよかったのに、とリリアは思う。せっかく作品を作り上げるのだから、誰にも見られないよりは誰かに見てほしい。欲を言うならば、死体が消えてしまわなかった場合、タイムリミットが過ぎて腐敗が始まる前にきれいなままで処理をしてほしいという思いもある。だから、念のために冒険者の宿に依頼を一つ出しておいた。魔法が解けるころにこの場所にやってくるよう指示し、そこにあるものを持ち帰るだけの依頼だ。死体が消えずに泉の中にあれば依頼を受けた冒険者が死体を発見し、持ち帰ってくれるだろう。
そんなことを考えているうちに体のほてりは収まってきていた。月の位置からして、時間もいいころ合いだ。
サッシュベルトを外してスカートを下ろす。靴底が擦れて裏地が汚れるが気にすることはない。もうこのスカートを履くことはないのだ。スカートを折りたたんで泉のほとりに敷く。足裏に土がつくのは避けたかった。首から下げたドッグタグを外し、服を脱いでいく。辺りは静かだ。布が擦れる音だけが響いている。一枚、二枚と脱いでは畳み、地面に置く。ドッグタグの名前が彫られた面を上にして、服の上に乗せた。髪紐代わりの魔道具をほどけば、長い髪が自分の背中にかぶさってくる感触がした。靴を脱ぎそろえ、折りたたんだスカートの上に乗る。そうすれば後は下着だけだ。その上下の下着にも手をかけ、身から外す。一糸まとわぬ全裸だ。
自分の体を見る。わずかに膨らんだ胸から、くびれた腰へ、そして骨盤の広がりを経てまろやかな曲線を描いた足。与えられたものをよく磨き管理したと思う。栄養を考えて整えた体は、丹念に手入れした肌は、冒険生活でやむなく残ってしまったいくつかのわずかな傷跡を除いては痩せぎみの女体して完璧だった。19年使い続けて磨き上げてきた肉体だった。この肉体を清らかな水の中に浮かべることで、水の中に浮かぶリリアの死体という作品は完成するのだ。
魔法で泉の水を汲み上げ、頭からかぶる。心地よい水が肌の上を優しく滑っていった。出来る限り汚れは落としてしまいたかった。体を撫でていった水が泉に入らないように注意して、二度三度と体を洗った。
「《変化を拒絶する魔法》」
体全体に魔法をかける。学院の禁書庫内の書物から覚えたその魔法は、本来であれば魔法をかけたものに外的な要因以外の一切の変化を生じさせなくするものだ。使いこなせれば実質的な不老不死を実現することができるこの魔法は、禁書庫に封印されているのも仕方ないことだ。リリアはまだこの魔法を使いこなすことはできず、効果を一部に絞って魔法を行使している。しかし、今のリリアにとってはそれで十分だ。その効果とは、自分の体を新鮮に保ち続けることだ。水の中で死体となったあと、水を吸い込んで膨らみ醜く腐り果てていくのを少しでも長く防ぐためだ。その間だけ、リリアの死体は作品でいられる。その時間は今では約24時間しかなくそれがタイムリミットだ。つまりは、8月が終わるまでだ。
もし8月が終わり、自分の死体が消えてしまうのであれば自分は永遠にこの泉の中に浮かんでいられるとリリアは思ったし、そう願った。
音や波を立てないようにして、爪先から水の中へ滑り込んだ。泉の中にはやはり鮮やかな青が広がっており、頭の先まで水につけると全身が青に包まれた。滑り込んだ勢いそのままに、泉の中心まで移動する。顔だけ水の上に出すと、辺りの樹が妙に高くそびえ立っているように見えた。もう一度水に潜ればもう二度と地上の様子を見ることはないだろうが、未練は欠片もなかった。水面を見ると、すぐ近くに月が揺らめいている。息を吸って、その月にキスをするように、リリアは水中へと潜った。水底へ行くにつれて濃い青に包まれた水の清らかさがはっきりと見えた。体を反転させて水の中から水面を眺めると光に照らされた水の美しさがはっきりと見えた。自分から吐き出された空気が泡となり、異物として水から押し出されていくのがはっきりと見えた。耳の奥で自分の鼓動がドクドクと勢いよく打っているのが聞こえた。恋をするような激しい鼓動だ。リリアの死体は水の中に浮かんで、24時間の間ではあるが、あるいはその先永遠に、水と一つになれるのだ。自然と笑顔がこぼれた。
右手を首筋に当てる。《脳を破壊する魔法》は手を接触させた部位から破壊の魔力を流し込み、その流れで脳の機能を破壊する魔法だ。これも禁書庫で覚えてきたものだ。リリアは今までに何度も試して、自分の技量では首筋から魔力を流し込むのが一番効果が高いことを知っていた。自分自身にもそうするのだ。こればかりはやり直すことができない。しかし、昨日寝る前に感じていた緊張は、懸念は、今となっては全く感じていなかった。リリアの顔は自然な笑みを浮かべており、首からどのように魔法を使い魔力を注げば自分の脳を壊して死体になることができるのか完璧にわかっていた。だから、数時間前に灯花亭から外へ一歩踏み出したときのような気軽さで彼女は自分の首から魔力を流し込んだ。
その魔力がリリアの脳を破壊するまでのわずかな間に、彼女は自分の魔法が完璧に行使されたことを確信した。自分自身が消えてなくなるまでのわずかな時間に湧き上がってきた気持ちを口に出そうとしたときにはもう彼女の口は動かなかった。
(ありがとう――)
誰に向けてか、何についてか、そんなことを考える時間もなく。リリアは脳を破壊されて死んだ。
そうして、彼女の人生をかけた渾身の作品が生まれた。
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